塾長ってどんな人?

福島県生まれ。

海の近くで生まれたにも関わらずシーフード嫌い。

幼稚園まで福島で過ごし、親の転勤で群馬へ。

その後も転勤が続き、小学校は全部で3校。

中学・高校時代

まだ私立受験という考え方がなかった時代?で普通に地元の中学に進学。

このあたりから英語に興味を持ち始め高校は「英語科」がある学校へ進学。

学生時代、親から「勉強しなさい」と言われた記憶はなかったものの、我が家には今考えると恐ろしい規則があった。

① テストで80点以下はご飯抜き。

平均が高い、低いは関係なし。空のお皿だけ並べられ着席の義務はあった。

② 勉強しないと全てゴミ箱へ。

いらないならと、本気で捨てられる。

ひどいときは、ゴミ袋に入れられゴミ捨て場においてあったことも。

③ 受験は1校のみ。

行くのは1つだからという理由。。。

④ 塾は禁止。

なんのために学校にいっているんだと、塾の許可は下りず。

などなど厳しいルールのもとで生活をしてきたためか、自然と「勉強をする」という習慣が身についていたかと。

高校卒業後、渡米。

高校卒業後。

親のすすめもあり語学留学でアメリカへ。

というより、手続きは自分の知らないところで進んでいた(;´∀`)

渡米を知ったのは出発の1週間前。

当然心の整理もつかないままアメリカへ・・・

現地空港にて自分の英語の出来なさを痛感。

そしてなぜか黒人のスタッフに呼び出され怒られる。

数十分後、やっと空港外へ。

まさかのリムジンによるお出迎え。寮へ。

自分がどこの学校に行くかもよくわかっていなかったため、着いてすぐ学校の位置確認。

学校初日。

結局場所がいまいちわからず、近くのおばあさんに教えてもらったバスに乗車。

運転手が途中、食事休憩でマックに行ってしまったせいで、学校に遅刻。

中高と6年間も英語を学んできたにも関わらず、現地で通用しない自分の英語力にショックをうけ、毎日必死に勉強をする。

半年間後、無事学校を卒業。

あえて大学には進学せず、帰国。

英語力向上のために、今度は自分の意思で再度留学を決意。

2カ国目。オーストラリアへ

2カ国目。オーストラリアへ。

アメリカで学んだ英語力を試そうと、最初のホテル3日間のみ予約し、それ以外の事前の手続きは一切せず渡豪。

またお金も最低限しか持っていかなかった。

現地到着後すぐに宿探し+職探し。

職(飲食店)は運良くすぐに見つかる。

宿は何件も回り、長期間住むことを条件に値段交渉。

わずか1畳ほどの安宿に決定。

ほぼ毎日仕事の生活を送り、貯めたお金で帰国直前に英語教師養成学校へ通う。

日本帰国

帰国後、すぐに日本での職探し。

英語を活かす仕事にこだわりすぎて3ヶ月もかかる。

最終的に留学体験を活かせる留学斡旋業の仕事に就く。

5年程度働いたのち、塾で働かないかと声がかかり

2008年11月

個太郎塾与野教室の教室長に就任。

約4年間働いた後、現ふじみ野教室へ移動。

教室の移動で生徒に迷惑をかけたくないという思いから独立を決意。

2016年4月

個人事業主として独立。

国への税金の多さに衝撃を受け法人になることを決意。

2017年12月

株式会社アスピレーションを設立。

晴れて法人となる。

趣味がやばい

趣味は勉強。

この時点でだいぶやばい・・・と言われる。

特に英語(英文法)が大好きで、所持している参考書は30冊ほど。

それ以外の教科もそこそこ好きで、朝起きてまずすることは映像授業を見ること。

それをしないと1日が始まらない。

ヘビースモーカーの勉強版だと自分では思っている。

勉強面においてのボランティア精神が強く、困っている人を見るとつい助けてしまう。

近所の子に勉強を教えたり、本屋で参考書選びに悩んでいた生徒を救った?ことも(笑)

勉強好きは病気レベルであることを、ちゃんと自覚しているのでご安心を(笑)

講師に感謝

最後に・・・

このページを書くにあたって、似顔絵を描いてくれたS先生に感謝です。

だいぶ美化しすぎな気がしますが(;´∀`)

実物はこんなにイケメンではないです(;・∀・)